ベトナムで高品質な豆腐を販売する”豆腐マイスター”カオミンケンさんインタビュー前編

本日は、ベトナムで日本の技術を使った高品質の豆腐を販売しているVi Nguyen社の取締役副社長カオミンケンさんのインタビューをお届けいたします。

日本で生まれ育ったベトナム人のケンさんが、何故今ベトナムに渡り豆腐を作っているのか? その経緯など色々なお話を伺ってきました!

豆腐マイスター、カオミンケンさんインタビュー

Halca
よろしくお願いします。
カオミンケンさん
よろしくお願いします。
Halca
では、まず自己紹介からお願いします。
カオミンケンさん
はい、名前はカオミンケンと言います。
出身は横浜、ベトナム人ですけど日本で生まれ育って、日本の学校を卒業して、日本の企業で6年間サラリーマンをしていました。

その後にベトナムに来たのですけど、両親ともにベトナム人で、このVi Nguyen社という会社は父親が10年前に日本の会社を辞めて、ベトナムに戻って起業して、僕はそれに参加しました。それが2年前で、2015年の8月から一緒にやっています。

Halca
何がきっかけで参加しようと思われたんですか?
カオミンケンさん
僕は6年間普通にサラリーマンをやっていたのですが、あんまり楽しくなくて、
多分僕は組織に属して仕事をするのが向いてなくて、上から言われたことをはいはい言ってやるのがあまり面白くなくて、やっぱり自分で自由にやりたい!自分の思い通りに自己表現したい!と。上から降りてきたことを違うなと思いながら、でも上から言われたからやるしかない、みたいなことをやるよりも、やっぱり自分がこうしたい、ああしたいと思ったことを自由に表現したい。そういう場じゃないと仕事は面白くないな、ということを6年間サラリーマンをやって気が付いたんですね。

それでどうしようかなと。、起業するのが一番理想の働き方ではあるんですけど、起業すると言ってもすぐにできるもんじゃない。そんなときにたまたま父親から10年前から始めていた豆腐屋を手伝わないかと誘われました。、はじめは全然手伝う気もなかったですけど、そういう「サラリーマン辞めたい」っていうタイミングと、ちょうど父親の会社が急成長をし始めた時期が重なっていたこともあり、面白いかもしれないなと思いました。それがきっかけで「ベトナムに行くか!」となった感じですね。

Halca
お父様は10年前にベトナムへ戻られていたんですか?
カオミンケンさん
はい、そうです。
父親は約30年間日本で会社勤めをしていましたが、僕が大学卒業して直ぐにベトナムに戻りました。父はずっといつかベトナムに戻って日越両国に恩返しをしたいと思っていたのですが、僕が大学を卒業するまで我慢していたようです。

というのも、僕は2人兄弟の末っ子なんですけど、自分が自由にやりたいことをやるのは子供達2人がちゃんと卒業して、親としての義務を終えてからっていうことだったんですね。だから僕が大学卒業するのをずっと待っていたんですよ。僕が学生の頃は良く父親に、いつ卒業すんだ! とか、留年しないだろうな! 大丈夫だろうな! 大学院行きたいなんて言わないだろうな! と良く言われていました(笑)

早く卒業してくれと思っていたようですね。そしたら父親も自由になれる。父親も僕と近いんですよね。我慢しながらのサラリーマンだったと思うので、独立したいっていうのはあったんですね。


Halca
現在のお仕事の具体的な業務内容はなんですか?
カオミンケンさん
僕のポジションは、父親が社長でその下、副社長という立場なんですけど、そんな大きな会社でもないんで、結構なんでもやっています。
具体的に言ったらそれこそ大豆の調達業務をして、製造もやりますね。実際に僕がお豆腐を作ります。その作ったやつを売ります。で、たまに自分で配達もします。

全部下から上までやりつつ、会社の全体の意思決定、戦略策定、会社がどの方向に進んで行くかというのも、父親2人で考えながらやっている感じですね。

Halca
大豆は、どこから調達するんですか?
カオミンケンさん
アメリカです。実際アメリカに行きましたよ。っていうのも、うちのこだわりは大豆なんですよ!
いろいろこだわる中での1つですけど、NONーGMOって聞いたことあります?
Halca
ないです。
カオミンケンさん
遺伝子組み換え、非組み換えってあるじゃないですか? GMOというのは遺伝子組み換え、NON-GMOは遺伝子組み換えではないという意味なんですね。

日本だったら大体口にする大豆って「遺伝子組み換えではありません」って書いてあると思うんですけど、ベトナムは、流通しているものは、ほとんど組み換えてる大豆なんですよ。

日本も豚の餌とか、人間が口にしないものは結構遺伝子組み換えた大豆を使っているんですけど、遺伝子組み換えた大豆をつかっている豆腐は皆無です。

でもベトナムはまだまだ遺伝子組み換えている大豆がいっぱい出回っています。新聞報道によると、ベトナムで流通している大豆の約90%は遺伝子組み換え大豆とのことです。

ベトナム国内の大豆業者さんから大豆買おうとしても遺伝子組み換えばっかりだし、「これは遺伝子組み換えじゃないよ、NON-GMOですよ」って言っていても、結構パッケージ詐欺が多いんですよ。

「本当なの?じゃあ証明書くれ」っていっても「無いです」って。証明書ないからいくらでも言えるんですよね「これNON-GMOですよ」って。だから信用できないんですよ。

なのでもう自らアメリカに行って、自分で農家さんを選定して、NON-GMOを担保している仕組みがきちんとできている所を選んで、その農家さんから直接大豆を買い付けて、コンテナでベトナムに運んで使っています。

Halca
すごいですね!
カオミンケンさん
それぐらい大豆にはこだわってます。だから美味しいんです。
Halca
お父様が10年前に始めたと聞いたのですが、なぜそもそも豆腐だったんですか?
カオミンケンさん
これまたロングストーリーになるんですけど、父親が日本で働いていた時の職業は、豆腐とは全然関係ないんですよ。

父親は高校までベトナムなんですよね。大学から日本で、ちょうどベトナム戦争の時に国費留学生として日本に渡って、日本の大学を卒業して、大学院まで行って、工学博士号を取得しました。

材料工学が専門で、それで日本の大手メーカーに就職したんですよ。

大手メーカーで基礎研究開発を中心に、いろんな仕事をやっていたようです。大きな仕事だとリニアモーターカーの基礎開発などにも従事していました。
というわけで、全然豆腐関係ないじゃないですか。

Halca
確かに、全然違う業種ですね!
カオミンケンさん
じゃあ、なんでそんな父親が「豆腐」となったかと言うと、もともと父親は大学卒業したらベトナムに戻りたかったようです。

ですが、ちょうどベトナム戦争の最中に日本に来て、大学卒業したらベトナム戦争終わって南北統一してしまって…。父親は南出身なのですが、南ベトナムは戦争で負けたから、国自体がなくなっちゃったんですよ。

大学卒業したけど帰れないから、大学院に行って結局そのまま博士まで取得して、そのまま日本で就職して、そしたら結婚しちゃって、子供産まれちゃって、もう戻れないじゃんと。そのままずっと日本でいたんですね。

でもいつかベトナムに戻って、日本とベトナムに恩返しをしたいっていう気持ちはあったようです。10年前くらいにはもうベトナムは平和になって、戦後の混乱期もなくなって、もう戻れそうだなという感じになったんです。

Halca
そうだったんですね。
カオミンケンさん
子供も卒業するし。「よし、ベトナムに戻ってなんかやるぞ!」っていうなかで、肝心の何をするかっていうのが難しかったんですよ。

というのも父親はリニアモーターカーのような大きな国家プロジェクトをやっていたので、そういう類のものは規模が大きすぎて、自分1人でこじんまりとはできないですよね。

それをやろうと思ったら、いろんな人を巻き込まないといけないですよね。父親は研究肌の人間だからそういう沢山の人を巻き込んでやる仕事よりも、1人でこじんまりとできることで、日本とベトナムの架け橋になるようなことを探していたんですよ。

いろいろと何をするか探している時に、ベトナムでたまたま大きなニュースになったのが、「ベトナムの豆腐が結構やばいものを使っている」というものでした。ベトナムって豆腐めちゃくちゃ食べるんですよ昔から。もう伝統食の一つですよ。豆腐って豆乳に凝固剤を入れて固めるんですけど、その凝固剤に、食用じゃなくて工業用の石膏を入れて固めていた業者が判明して、「お豆腐は食べないほうがいい」という感じでベトナム国内でニュースになったんですよね。

父親は日本の豆腐が好きだったんで、そのニュースを知った父親は、「あっ」となったみたいなんです。

Halca
おぉー!!
カオミンケンさん
「ベトナムは豆腐めっちゃ食べる、ベトナムの豆腐は安全安心じゃない。そして、あんま美味しくない。日本の豆腐は美味しいし、安全安心」あれ? だったらちょっと日本の豆腐をベトナムで作って売ったら結構ニーズあるんじゃないか? と閃いて。

豆腐って家でも作れるんですよ。それで父親が家で自家製豆腐をちょっと作ってみたら、めっちゃうまいのができたらしいんですよ。「めっちゃうまい、何これ?」って。「これ絶対売れる」って。それで会社辞めよ!って会社を辞めて、豆腐作りを始めたんですよ。

Halca
そういう経緯があったんですね!
カオミンケンさん
で、もう本当ゼロから。

会社の退職金もらって、その退職金を半分使って開業資金としました。退職金は夫婦共有だから当然母親は大反対ですよ。

「早期退職して、老後の生活資金になる退職金使って、ベトナムで工場建てて豆腐事業やるなんて何事だ!」と、めちゃくちゃ喧嘩になりました。それでも家族の反対を押し切って、工場建てて、中古の機械を日本から輸入して、事業を始めてしまいました。

ちょっとロングストーリーになりましたけど、そんな経緯です。

Halca
時代背景など、色々なことがあっての決断だったんですね。ありがとうございます。

続いての質問です。豆腐マイスターの資格*をお持ちだとお伺いしましたが、どういうきっかけで取得しようと思ったんですか?
*日本豆腐マイスター協会認定/豆腐マイスター

カオミンケンさん
きっかけは2つありまして、僕も日本での仕事は、豆腐と全く関係なかったんですね。

サラリーマン時代は工場用のセンサーを売る営業をしていました。

Halca
だいぶ違いますね(笑)
カオミンケンさん
違うでしょ! 日本って、工場行くと自動化されているから、センサーがいっぱい付くんですよ。センサーが人間の目の代わりをするんですよ。

僕は愛知県に配属されて、愛知県って車の工場がいっぱいあるから、車の製造ラインのセンサーを売る仕事をやっていました。全然豆腐と関係ないじゃないですか。

でもまぁひょんな事からお豆腐をやることになったから、やる以上はやっぱり豆腐のことを極めないといけないと思ったのが理由の1つです。

もう1つの理由が、うちのお豆腐ってね、めちゃめちゃ美味しくて、日本式で作っているんですよ。なんだけど、パッケージをご覧になるとわかるんですけど…

写真手前がお豆腐のパッケージ

Halca
結構THE・ベトナムですね。
カオミンケンさん
めちゃめちゃベトナムです。
Halca
あ、でもちゃんとパッケージにNONーGMOって書いてある。
カオミンケンさん
そうなんです。でも、デザインはめちゃめちゃベトナムなんですよ。

だから普通日本人がこれみたら「これ絶対やばい豆腐」って思うじゃないですか。「これ海外でよくあるまずい豆腐だな、ちょっと手が出ないな」っていう感じがするじゃないですか。

でも食べるとめちゃめちゃ美味いんですよ! これ日本人がびっくりするぐらいすごい美味しくて、それを知らない人がたくさんいるんですね。

そういう問題意識もあって、じゃあ僕が豆腐マイスター取れば、「デザインは怪しいけど、実は豆腐マイスターが作った本格日本豆腐です。」って言えるじゃないですか。

そういうPRの一環も兼ねて、豆腐マイスターを取りました。豆腐を純粋に極めたいっていうのと、PR。この2つが豆腐マイスターの資格を取得した経緯ですね。

Halca
ケンさんも、お父様と一緒で突き詰める、突き進むのがお好きなんですね!
カオミンケンさん
そうなのかなぁ(笑)
まぁまぁ、やっぱり僕も日本で6年間サラリーマンやって、安定していた。その安定を捨ててきているわけですから、それはもう退路を絶っているわけですよ。

退路を絶っているわけですから、それぐらいの気持ちで、もうこれから僕は”一生豆腐”で、転職できないですからね。

転職するっていうことは、会社が潰れた時ですから絶対転職できないですし、それぐらいの覚悟を持っているわけですからね。だからもうしっかりと突き詰めて、名実ともに豆腐マスターになりたいと思っています。


前編は、ここまで!
今回は、ケンさんやお父様の経緯を中心にお届けいたしました。私個人的には、お父様がベトナムに戻るまでの経緯をお伺いしている時に、思わずグッとくるものがありました。無事、ベトナムの地に戻ることができて良かったです!!!

次回は、更にお豆腐へのこだわりについて伺っていきます。後編もお楽しみに!

ベトナムで高品質な豆腐を販売する”豆腐マイスター”カオミンケンさんインタビュー後編

ハノイでの取り扱い店舗情報

現在、下記店舗にて販売中です!なんと、本日(2018年06月30日)ハノイ市内のFIVIMART全店舗でVi Nguyen社の豆腐がで販売スタートになりました。おめでとうございます!!


お求めは、お近くの上記スーパーで!

会社ホームぺージ

Vi Nguyen Co., Ltd.
http://vinguyen.vn/

(Special thanks!:Metくん



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ABOUTこの記事をかいた人

宮城県仙台市出身。2013年6月からベトナム・ハノイ在住。 ベトナム在住そして、独身女性だからこそ書ける記事を提供できるよう日々奔走中。自称ハノイ美容マニア。趣味である各国の「民族衣装」撮影時にベストなコンディションで臨めるよう、日々新しい美容方法を試している。 本人はしっかりしているつもりなのに、度々変な事に巻き込まれる。地元の後輩からは『生きるコントby大宮エリー』と言われている。