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日本で暮らすベトナム人女性が国際結婚するまでのお話

今回の記事は、ココナラ経由で依頼したライターTAKAさんが、ご近所に住むベトナム人女性の日本での生活や、馴れ初めについて記事を書いてくださいました。
アイキャッチ画像は、Snapmart/Monaさんの素材を利用しています。
ベトナムから大阪へと、一度目は友人と遊びためにやって来たのが、かれこれ約15年以上前でした。
その時の日本での印象が良かったので、「もう一度、日本に来たい。」という気持ちが強くなり、約二年ベトナムで働いて、費用を貯金してから、日本に再び、やって来ました。
二度目に来た時には、日本で働こうと決めていたので、「人がたくさんいる所の方が働く場所もあるだろう。」と考えて、初めて訪れた大阪に行くことにしました。
大阪に着いて、まず、住む所、働く所を探しました。
最初にアルバイトをして、どんな仕事でもしました。
一番働きやすかったのは、飲食店の店員さんで、そこでは、私と同じような外国から来た人がいたので、日本でも友人ができました。

その友人は、フィリピン人で、「いずれは、日本にこのまま住んで、フィリピンにいる家族、両親、姉妹たちも一緒に日本で生活できるようにすること。」が彼女の夢でした。
私は、その頃は、自分が日本で生活する事が楽しくて、ベトナムにいる母の事までは考える余裕はなかったので、「友人の考えている事は、家族思いで優しいなぁ。」と思っていました。
飲食店でのアルバイトをしていましたが、あまり収入は良くなくて、一つの仕事では、日本での生活が難しくなってきたのが、来日して一年くらい経った頃でした。
そこで、二カ所で働こうと思い、次の働き場所を探しましたが、当時外国人の私には働く所がなかなか見つかりませんでした。

フィリピン人の友人に相談すると、彼女が働いている”フィリピンパブ”を紹介してくれて、そこで働くことになりました。
ここでの仕事は、お客さんにお酒を作ったり、お話をしたりと、毎日、色々なお客さんの対応をしながら過ごしていました。
ある時、お店のオーナーさんから、「毎日お店に来るお客さんだけではなく、新しいお客さんを連れて来るように。」と言われました。
だから、もう一つ働いている所に来るお客さんにも声を掛けるようにしましたが、パブに来てくれる人は一人もいませんでした。
フィリピン人の友人に、またまた相談すると「名刺を作って来る人に渡せばいいんだよ。」と教えてもらったので、早速、自分の名刺を作りに行き、まずは百枚作ってみました。

それから、アルバイト先に来るお客さんでお話ができる人に渡していきました。
すると、毎日のように、電話やメールが入ってくるようになりましたが、どの様な対応をしたらいいのか分からずにいましたが、少しずつ慣れていきました。
その沢山連絡をしてくるお客さんの中で一人、私の事を心配してくれたり、親切にしてくれ、困った時に助けてくれる人がいました。
その人が、今の主人です。
と言っても、すぐに付き合ったりした訳ではなく、少しずつ、私の事を思ってくれ助けてくれるのが嬉しくて仲良くなっていきました。
しかし、この人は、私のいる大阪の人ではなく、仕事の出張で大阪に来るだけの人だったので、いつでも会える人ではありませんでしたので、電話での連絡しかつながることができなかったので、出会って、また一年が経過していました。
彼が住んでいるのは、大阪から離れた場所である中国地方。
その彼が「大阪からこっちに来てくれないか?」と言ってくれましたが、すぐには、仕事が辞めれないので、引っ越しをするための準備をして、行くことに決めました。
そして、彼と一緒に住むようになり、彼は自営業をしているので、その手伝いをする事にしていたので、外で働かなくても良くなりました。
そうしていると、彼が、「ベトナムにいるお母さんも日本に呼んだら。」と言ってくれたので、呼びよせて一緒に住むことにしました。

それで、母も彼の自営業を手伝い、三人での生活がスタートしました。
そのうち、彼との間に子供ができ、結婚が決まり、彼の仕事も順調で、従業員を雇うまでにもなりました。
それから、また、二人目の子供を授かりました。
ご近所さんにも、日本人の友人ができ、日本での充実した日々を送ることができるようになったのも、主人のお陰だと感謝しています。

Halca
TAKAさん、直筆での想いのこもった記事作成ありがとうございました!
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